インタビュー:卒業生の活躍
笑いのなかにも感動あり
太田 芳伸 氏(70回/吉本興業(株)吉本新喜劇)
1981年、大阪市生まれ。幼少期は神戸市内で過ごす。1999年、大阪府立東淀川高校卒業。本学経済学部(2部)入学。2000年、NSC大阪校23期生。2004年、本学卒業。2005年、金の卵オーディション1個目。趣味は筋トレ、格闘技。特技ハンドボール。
本日は、現在吉本興業(株)に所属し、吉本新喜劇で「おじゃま死にます。」等のギャグで活躍されている太田芳伸さんを取材させて頂きました。
子どもの頃から周りを笑わせていました
僕は子どもの頃から、世間で言う「いちびり」というか「おちょけてる」タイプの人間でした。高校の文化祭で先生の名前をとって「坂本新喜劇」というのを仲間15人ぐらいでさせて頂いて、とても評判がよかった事を覚えています。
大学に通いながらNSCで腕を磨く
高校卒業後、どうするか悩んでいるところ、同級生から「俺と一緒にお笑いをやってほしい!」と言われNSC(吉本総合芸能学院)に入学しようとしましたが、母親から「社会はそんなに甘くない。世間は非常に厳しい世界だから大学にいきなさい。そのかわり、卒業したら自分の好きなことをしていいから。」と言われ、大阪経済大学の2部(夜間)の経済学部経済学科に入学し、NSCにも入学しました。
家は母子家庭で決して裕福ではなかったので、大学の学費は育英会から奨学金を借りて、NSCの費用は全て自分でアルバイトをして稼ぎました。大学時代の1~2年時は、昼間はNSCの授業、その後は大学の夜間の授業、それが終われば夜のバイト、その後朝のバイトと殆ど毎日2~3時間しか寝れなくて、今考えても「あのときの大変さが今に繋がっている!」とつくづく思います。
その後1年間は休学しましたが、4年生の時はまた大変でした。単位をほぼ全部取らないと卒業できなかったので、昼間の1部の授業にも出席し、しかも一番前のど真ん中で先生の講義を聴き、わからない事、質問があれば先生に聞きにいってました。どの先生も「わからない事があればいつでも聞きにおいで」と言ってくれたので、本当にお世話になり助かりました。
高校時代の部活はハンドボール部に所属し頑張っていました。大阪経済大学のハンドボール部は「強い!」ということは知っていましたが、とてもクラブまでできる余裕はなかったです。
ライバルが多くも人に恵まれたNSC時代
NSCでは、多くのライバルがいて、その人たちを超えたいと必死でした。NSC卒業後は、漫才やコントをやっていましたが、なかなか結果が出ず目標を失っていた時もありましたが、大学の先輩から「新喜劇に入れや!」と言われ、オーディションに受かることができ、現在も新喜劇で頑張っています。入った時は、芝居に対していつも怒られてばかりで、テレビで見る印象とは違ったけれども、間寛平師匠がGMになられて若手にもチャンスを与えてもらっています。
吉本興業には多くの芸人さんがいますが、一人のマネージャーさんが10数名担当していて、とても親身に世話をしてくれ、またこちらの話も聞いてくれるしとても助けて頂き、愛のある社員さんがとても多い会社です。僕も早く座長になって、もっと、もっと、吉本新喜劇を盛り上げていきたいと思っています。
在学生の皆さんへ
在校生に対しては、この大学生活の中で何事にも学ぶという姿勢が大事。
そして、若いうちに苦労した事は、後で必ず役に立つ!と力強くアドバイスを頂きました。
(聞き手=広報部・田島裕司)
こちらは 同窓会誌「澱江59号」掲載の記事です
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