インタビュー:卒業生の活躍
母校から日新信用金庫へ つながりは続く
山本 良一 氏(日新信用金庫 理事長・52回卒業)
1962年、神戸市兵庫区生まれ。神戸甲北高等学校卒業。1986年、本学経済学部卒業。日新信用金庫入庫、2014年、常務理事、2017年、専務理事、2019年、理事長就任。趣味はゴルフと読書。
本学での学び、日新信用金庫へ
新信用金庫は兵庫県内の明石信用金庫、神港信用金庫、三木信用金庫の3つの信用金庫が合併し、誕生した信用金庫で、明石、神戸、三木地区を中心に36店舗があり、地元に役立つ信用金庫として長年地域とともに歩み続け、2021年2月で創業100周年を迎えた。「日新」とは、中国の古書『大学』の一節に由来し、その一部「日々に新たに」ということから「常に新たな気持ちで人に接し、ことに対処するように心がける。そのため、日々自分なりに新しい一歩を踏み出す努力をする」という意味が込められている。その日新信用金庫の理事長に就任されたのが山本良一さんである。
山本理事長は神戸市内の中学、高校を卒業後、大学は自宅から身近に通える大学として、大阪経済大学を志望した。大学のゼミでは、海外取引や貿易の仕組み、外為法などについて学んだ。ゼミの教授である香川尚道先生は、日本銀行出身の方であり、講義では金融業務にまつわる話もしばしばあり、そこから金融機関に興味を持ち、就職先として金融機関を志望するきっかけとなった。生まれ育った神戸に愛着があったことから、全国規模で仕事をするメガバンクではなく、地域社会に密着し、地元に貢献できる地方銀行や信用金庫の採用試験を受け、日新信用金庫に入庫した。
日新信用金庫との出会い、そして理事長への道
山本理事長の日新信用金庫との出会いは、中学生の頃に遡る。中学校時代、卓球部に所属していたが、通っていた中学校の近隣に日新信用金庫の新しい支店が開設された。当時は多くの企業が、土曜日の午前中は営業していた時代であった。
土曜日の午後になると、仕事を終えた支店に勤める信金職員が、中学校の部活動の練習に参加し、熱心に指導をしてくれた。子ども心に「かっこいいな」と憧れを抱いたのを覚えている。その時の職員の姿が脳裏に焼き付き、就職先を選ぶ時のイメージに繋がった。日新信用金庫とはこの時から縁があったと振り返っておられた。
山本理事長のモットーは「感謝」と「謙虚さ」であるという。「人に会ったら挨拶をする」「ゴミが落ちていたら拾う」などの当たり前のことを当たり前にできることが人として大切である。最近は、自分中心に考える人が多くなって、この「感謝」と「謙虚さ」が薄れているように感じる。
近年、デジタル化が進んでいるが、生きていくうえで、人と人との交わりは必要不可欠なことで避けては通れないことである。相手を認め、素直に話を聞く。そして教えてくれたことに感謝し「ありがとう」と言える職員を育てていきたいと意気込みを話していただいた。
日新信用金庫と本学とのつながりは深く、現在、本学出身の金庫職員が25名在籍し、毎年2~3名の学生が入庫しているとのことである。山本理事長も一緒に入庫した本学の同期生がおり、今でも仲が良く、お互いに切磋琢磨し、頑張っているとのことである。
山本理事長は入庫当初から理事長を目指していたわけでないという。人と人との出会いに恵まれたり、運命的なこともあったが、とにかく与えられた仕事を一生懸命やれば、評価は自ずとついてくる。信用金庫の業務で言えば、お客さまが困っているときは親身になって話を聞き、一緒になって解決策を探すことで信頼関係が構築されていく。ひとつひとつの仕事を精一杯努力し、積み重ねた結果が今に至っているという。
大学で様々な知識を身に着けてそれを生かすことも大事であるが、何より失敗を恐れず一歩前に踏み出す行動力が、将来、社会に出ると必ず役に立つので、何事にも恐れずチャレンジして下さいと学生の皆さんにエールを送ってくださった。
これからに向けて
今後の抱負をお伺いしたところ、理事長の任期はまだまだあるものの、理事長職は長期にわたって留まる役職ではないと意外な答えが返ってきた。自分自身、自己啓発に努め、教養を深めるとともに、信用金庫の発展と部下の育成に尽力したい。理事長を任せられる後継者がいれば、スムーズにバトンタッチしたいとのことであった。山本理事長の「謙虚さ」が滲み出たお答えであった。
金融業界は低金利や新型コロナウイルスの影響で厳しい環境が続き、小規模店舗を統廃合する動きなどが目立つ中、山本理事長は「店舗はお客さまとの接点であり、店を閉めずに渉外担当を増やしたい」とあくまで前向きに捉えておられた。
(聞き手=広報部・天野康弘)
こちらは 同窓会誌「澱江57号」掲載の記事です
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