インタビュー:卒業生の活躍
気象予報士合格、大河ドラマ出演 挑戦はまだまだ続く
気象予報士、俳優(達 淳一氏:71 回卒業)
略歴 1982年、大阪府岸和田市生まれ。大阪府立和泉高等学校卒業。2005年、本学経済学部卒業。その後、俳優を目指し上京、アクション・殺陣を学び、役者として大河ドラマ等の出演を果たす。2010年、気象予報士資格取得。現在ELEVERおよびウェザーマップに所属。俳優、MC、レポーター、気象予報士として活躍中。
実家は父が設備業を営んでおり、家業を手伝っている息子には大学卒業後は企業に就職して経験を積み、将来は家業を継いでほしいとの願いを抱いていたのではないでしょうか。ところが達氏は幼い頃から憧れていた俳優を目指して学業に励んでいました。
変化を求めて大経大へ そして俳優の道へ
同級生の多くが大阪府南部の地元大学へ進学する中、達氏は環境の変化を求めて、あえて北部にある大学を志望し、本学に入学しました。高校時代に励んでいた剣道は、自宅と大学の距離が遠く、地元のだんじり祭りの準備が忙しく続けることができませんでした。授業では、最近話題になっている「ジェンダー論」(社会的な性差)に興味を持ち、ゼミでは瀬岡吉彦教授に可愛がってもらい、教授との飲み会は楽しい思い出になっているそうです。「車の免許を取得してからはドライブにはまり、日本各地を走り回りました。3回生の時、先輩の勧めもあり、一人でカリフォルニアのバークレーの程近くまで自分探しの旅に出掛けました。」英語は話せなかったものの、この旅が将来視野を広げていく転機になったといいます。「就活は俳優に踏み出す貴重な体験になると捉えて、何十社も受けました。医薬品などの製造販売を行う大手企業から内定をいただき心が揺らぎましたが、やはり俳優の道を選びました。
厳しい俳優の道、難関気象予報士の資格への挑戦
俳優への第一歩は、就活で7次面接まで行き合格していた大手芸能事務所でした。この会社には正社員ではなくタレントとして所属しました。その後すぐに上京したものの、仕事は少なく、長い下積み生活が続きました。この頃が現実を知った一番苦しい時代でしたが、将来の糧になりました。
それでも俳優になるべく、日々鍛錬に努め、乗馬、流鏑馬等多岐にわたって習得していき、2010年には合格率約5%と難関の『気象予報士』にも3 ~ 4年を要して、遂に合格しました。その後、防災士の資格も取得しました。
この頃からテレビ、ラジオ等の仕事が決まり、気象予報士と俳優の仕事で何とか生計を立てられるようになってきました。NHKでは朝ドラ『カーネーション』に出演、初めて、出演者紹介で『達淳一』と名前が出た時の感動は、今でも忘れることはできません。『平清盛』で念願の大河ドラマの出演を果たし、以降『軍師官兵衛』『花燃ゆ』と出演しました。2021年の朝ドラ『おかえりモネ』には久原大志役(『ニュースナイトJ』のキャスター)で出演しました。NHKは再放送も多く、世界各地に放送されるので感謝しています。今は天気予報コーナーに出演しながら、ドラマや映画のオーディションを受けたり、と俳優の道も歩んでいます。座右の銘は今は亡き野村克也監督の語録『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』です。負けるとき
は必ず負ける原因があったということです。
在学生の皆さまへ
学生の皆さんには少しでも興味があること、好きなことには全力でチャレンジしてほしい。『諦めなければ、失敗はない』『自分の最大の味方は自分自身』と信じて頑張ってほしい。これからも俳優、気象予報士にとらわれず新しいジャンルをどんどん開拓していきたいと思います。
「機会があれば、母校で講演会を是非開催したい」と思いを募らせておられました。(聞き手=広報部・天野康弘)
こちらは 同窓会誌「澱江57号」掲載の記事です
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