卒業生インタビュー

インタビュー:卒業生の活躍

子どもの元気な声が響き みんなの笑顔があふれる里庄町

加藤 泰久 氏(49回・岡山県浅口郡里庄町・町長)
1979年、岡山県立笠岡商業高等学校卒。1983年、本学経営学部経営学科卒。同年4月、里庄町職員。1997年、総務課長補佐。2004年、総務課長。2011年、町民課長。2014年、副町長。2018年、里庄町長。趣味は、ゴルフ、釣り、美術鑑賞など。

大学への入学、そして地方公務員へ

私が大阪経済大学に入学した動機ですが、高校は商業高校でした。昭和54年当時、卒業生の3分の2は就職、3分の1が進学志望でした。大阪経済大学は進学を希望する生徒の中でも人気が高い大学でした。私は、経済について学びたいと考えていました。また、関西(都会)への憧れもありました。
卒業後の進路は、第1志望は高校教師でした。採用試験は失敗しましたが、より多くの人に関わる仕事がしたいと考え地方公務員になりました。最初の配属先は税務課でした。その後、保健衛生課、老人施設、総務課、町民課で勤務しました。自分としては、教育委員会や建設課の仕事もしたいと思ったことはありますが、小さな役場ですので、他の課との連携協力を通じて役場全体の概要は把握できたと感じています。また、全ての経験した業務が財産になっています。

町長への就任、そして施策を充実

町長就任後これまでの仕事を通じて学び、大切にしているのは、「心」の持ち方です。住民の方に対して、コンプライアンス、公正、公平は当然ですが、いかにその人の立場に立って考え実行するかを大切にしています。さらに、町づくりは人づくりだと考えています。里庄町出身で日本の原子物理学の父といわれる、仁科芳雄博士の残された言葉に「環境は人創り 人は環境を創る」があります。安心して住み続けられる町を創るには、住む人の協力が不可欠です。住民と共に、私の目指す「子どもの元気な声が響き みんなの笑顔があふれる町」をつくること。また、その実現に向けて、職員が仕事を通じて成長を感じることのできる組織を創ることも、私のミッションだと考えています。
里庄町は昭和25年に町制を施行し、今年で72年を迎えました。岡山県の南西部で、福山市(広島県)、倉敷市の中間に位置しており、国道2号線やJR山陽本線が町の中心を縦断しています。また、山陽自動車道のICにも近いことから交通の利便性も高く、通勤通学にも適しており、優良企業(製造業)の立地もあります。人口減少社会のなかにあって、平成2年に1万人を超えた人口は、現在でも1万1千人を維持しています。その要因としては、従来から、基本施策に、○子育て ○健康、福祉 ○教育 ○道路、下水道等の充実に取り組んできた結果、住民アンケートから①子育てにやさしいまち。②教育が充実したまち。③住みやすいまちと評価して頂けていると思っています。里庄町では耕作放棄地対策として、水田で稲作に代わる収益性の高い作物「まこもたけ」を特産品として栽培を推進しています。
また、音楽界で脚光を浴びているミュージシャンの「藤井風さん」の出身地であることから、里庄町も注目され、多くのファンの方に訪れていただいています。

学生の皆さんへ

在学生に伝えたいことは、私が大学を卒業してから40年が経過しようとしています。振り返ってみますと、普段の仕事もですが、火災や自然災害発生時等、これまで多くの人に助けていただいたことを思いだします。そして、時間と社会の変化のスピードは本当に早く過ぎていきます。私は在学中にアルビン・トフラーの「第三の波」を読みましたが、現在では、それをはるかに超える社会が到来しています。したがって、挑戦することや、人生の中での出会いや時間を大切にしてほしいですね。また、どんな小さな仕事にも意味があります。そこに、どのような意味(価値)を見出すかは、自分自身の考え方や気持ちの持ちようで変わってきます。人生100年時代を迎えるなか、在学生の皆さんが、普段から、小さくてもいいですから習慣(例えば、挨拶、健康づくりに取り組むこと、良い本をよむこと、良い講演を聴くこと等知識の習得)を積み重ねながら、将来、大きな成果を得るよう祈っています。
(聞き手=広報部・田島裕司)

こちらは 同窓会誌「澱江58号」掲載の記事です

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