インタビュー:卒業生の活躍
「はやぶさ2」は新たなミッションを受け彼の手になる部品と彼の夢を載せて再び宇宙へと旅立った
村上 達哉 氏(株式会社ムラコー 代表取締役社長 74 回)
1985年7月10日、父親の仕事の関係でタイ王国生まれ。2004年、私立おかやま山陽高等学校卒業。2008年、本学経営情報学部卒業。高松亨ゼミ所属。大手シャッターメーカーで営業職。5年後に退社し大正元年創業の家業で、社寺の伝統金具から、「はやぶさ」、「はやぶさ2」、「イプシロン」の部品まで手掛ける金属加工メーカー、株式会社ムラコーに入社。株式会社ムラコーは、資本金1千万円、従業員10名の町工場である。
2020年12月7日、本日お会いする村上さんのご自宅のある松山市のお隣、伊予市へやってきました。本来は松山市の工場でお会いする予定でしたが、先日電話があり「現在、機密性の高い特別な仕事をしているため、部外者の方は立入り禁止なんです」。そう、彼の会社は、昨日無事小惑星から貴重なサンプルを持ち帰った「はやぶさ2」の部品も製造する特殊なメーカーです。
空手に明け暮れた青春時代
先ずは子供時代の事からお聞きしました。「私は5才から空手を始め、小学2年生の時初めて出場した全国大会で3位になりました。しかし、それまで出場したすべての大会で優勝していましたので、悔しくてたまりませんでした。次の年には必ず優勝してみせると必死に練習しましたが、またもや3位に終わってしまいました」。
ここでへこたれないのが村上少年です。何とその後、小学5年から中学3年までの5年間連続で全国優勝されました。高校は空手の強豪校に進まれ「まさに空手漬けの3年間でした」。卒業時には日本中の大学からオファーを受けたそうです。
大経大との出会い
「東京の大学への進学がほとんど決まっていましたが、大経大に進学された先輩から連絡があり『高校と同じことの繰り返しではなく、違う形で空手に取り組まないか』と誘われました。大変尊敬する方の誘いでしたし、夢を一緒に叶えたいと思いました」。
大経大空手道部を全国レベルにするという目標のために頑張られた結果、2部から1部へ昇格し、なんと団体戦で全国ベスト16位になられたそうです。
「強豪大学なら当然全寮制なので、自由な時間はほとんど無かったと思います。時間と心の余裕ができたためなのか、いつの間にか学内で出会う沢山の方と友達になっていました。そこで、新しいサークルを立ち上げました」。何と参加メンバー100人以上の大サークルが誕生し「大樟祭に出店した店は、とんでもない利益を上げました」と思い出を語ってくださいました。
新卒入社早々に頭角を現し、培った営業力を生かして地元へ
卒業後、大手シャッターメーカーに就職されますが「なぜか、50人の新入社員の中で、私1人だけが出身地の愛媛支店に配属されました」。そこでも本領を発揮され、入社1年目にして社員3600人の中で利益率1位になられました。
転機は入社5年目に訪れます。「祖父母の米寿祝の席で、このままでは来年の創業100周年を前に会社をたたむことになる。私が会社を辞めて帰ってくるなら別だがと言われました。経営状況も芳しくないと分かっていましたが、会社を無くすわけにはいかないと決心しました」。
この会社は元々、神社やお寺の屋根や金具などを金属板で作る板金屋さんとして創業されました。「その後工業板金や精密板金にシフトし、私が帰った時には社寺の仕事はほとんどやっていませんでした」。ところがなぜかその年に、四国有数の神社である「椿神社」の仕事が舞い込んできたそうです。「偶然にも、伝統の技を受け継いだ古参社員が1人だけ残っておられ、仕事を教えていただきました」。
今では、社寺の仕事が会社の収益の中で大きなウエイトを占めているそうです。「当社は昔ながらの体質で、営業は一切やっていませんでした」。村上さんは、5年間で培った営業力で新規の顧客開拓を行い、短期間で数倍に増やされました。「当社の顧客は建築関係が主ですので、勤めていた会社でお世話になっていたお客様が多くおられ助けられました」。
将来の夢をお聞きすると「今は小さな町工場ですが、伝統の技と最先端の技術を併せ持つ特色を生かして大きく発展させ、上場を目指せるような会社に育てたいです」と力強く宣言されました。
在学生の皆さんへ
最後に在学生へのメッセージをお願いしました。「私は言霊という考えを大切にしています。夢や希望をロから出せば必ず叶うと信じています。ですから、マイナスの言葉は決して口に出しません。又、人生には数々の試練や壁が待ち受けていますが、逃げることなく乗り越えて下さい。その先で必ず新しいご縁が生まれます」。
来年一年分の仕事はすでに受注済で、第2工場も計画中とのこと。「一緒に夢を追いかけてくれる後輩を待っています」との熱い言葉もいただきました。
(聞き手=広報部部長・田中伸治)
こちらは 同窓会誌「澱江56号」掲載の記事です
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