卒業生インタビュー

インタビュー:卒業生の活躍

「挑戦と変革」を企業風土とし、 持続可能な社会の実現に寄与する

窪田 昌治 氏(長野日本無線株式会社 代表取締役社長・48回卒業)
1959年、兵庫県生まれ。兵庫県立川西緑台高等学校卒業。1982年、本学経済学部卒業。同年、日本無線株式会社入社。2009年、執行役員。2013年、長野日本無線株式会社取締役。2014年、取締役常務執行役員。2016年、取締役専務執行役員。
2021年3月、長野日本無線株式会社代表取締役社長、日本無線株式会社常務執行役員を兼務。
長野日本無線株式会社は資本金36億4958万円、売上高328億円(連結)、従業員数1668名(連結)。

出会いを引き寄せた学生時代の卓球部

本年3月長野日本無線株式会社の代表取締役社長に就任された窪田昌治氏を、長野市の本社に訪ねました。

開口一番「実は、2年前に因幡電気産業の社長になられた喜多肇一君とは中学時代からの知り合いで同じ高校の卓球部なんです」と話されたので驚いてしまいました。お二人とも川西市のご出身で、別々の中学で卓球部のエースだったそうです。「市の大会では、いつも団体戦の決勝で戦っていました。2つの中学のほとんどの部員が同じ高校に進学したため、県大会で上位に入賞する強豪校になりました」。
卒業後は相談したわけではないのに、なぜか同じ大経大に入学されたそうです。すぐに、二人で本学の卓球部を見学されたそうですが「同期の兵庫県チャンピオンがすでに練習していて、大学のレベルの高さに驚いてしまい入部はしませんでした」。大学時代、卓球には出身高校の指導者として関わられました。

在学中は、学部は別でしたがアルバイトも喜多氏と一緒で電器店でエアコンを売っておられたそうです。

就職、そして地道な努力を評価され、取締役へ就任

授業では「児童心理学」が一番面白く、児童教育に興味を持たれました。「児童向け図書の出版社への就職も考えましたが、ご縁があって日本無線に就職しました」。

「日本無線の執行役員だった9年前に社長に呼ばれ『長野に行ってくれるか』と言われたので長野に出張だと思いましたら、長野日本無線への取締役としての就任でした」。日本無線は戦時中長野に疎開されていて、戦後東京に戻られる時に長野工場が独立して長野日本無線になったそうです。「喜多君が社長に就任した時に仲間でお祝いをしました。卒業以来久しぶりの再会でしたが、今では仕事上でも大切なパートナーとして協力体制にあります。トップ同士が既に信頼関係を築いているため商談がスムーズに進められ、ありがたいです」。ここでも「つながる力。」の素晴らしさを実感しました。

「私は良い上司と良いお客様に恵まれました」

「私は運良くここまで来たので、澱江の記事にはふさわしくないと思います」と何度もおっしゃいましたが、お話しいただいたエピソードの中に「運」ではない理由を見つけました。

「入社して3、4年目に、事業部長から『○○について調べてくれるか』と言われました。次の会議、普通の流れの中で『窪田君は○○についてどう思いますか』と質問されました。調べていたことを承知で質問して下さったので、当然答えられました。そんなことが何度もありました」。「私が主任になった時の部長は、他の部署からの問合わせに『そのことなら窪田に聞け』と私に振ってくださいました。本来は部長案件なので高度な内容が多く、よく勉強した思い出があります。結果として、周りからの信頼を得られました。2人の上司からは、人の育て方を学びました」。

「私が課長の時、大切なお客様とのアポを失念してしまい、担当の方からの電話で思い出しました。その日は先方の部長さんを訪問予定でしたが大幅に遅刻して到着しました。すると、本来何社かの集団面談だったのを、懇意にしていただいていたその担当の方が一社づつの面談に変更して下さっていて助かりました。私は良い上司と良いお客様に恵まれました」。

窪田さんは営業の仕事をするうえで、常に相手の方を好きになることを心掛けておられたそうです。「私が好きにならなければ、相手も私を好きになってくれません」。また、営業の基本とされていることも教えてくださいました。「部下には会社の損得の前に、正しいか正しくないかで判断しなさい。その判断で失敗しても許される、と伝えています」。

在学生へのアドバイス

最後に、在学生へのアドバイスをお願いしました。「社会に出て一番に気づくのは『時間は有限である』ということです。学生時代には『無限に近い時間』があります。必ず時間をかけてしかできないことに挑戦して下さい。きっと将来の宝物になります」。
(聞き手=広報部部長・田中伸治)

 

こちらは 同窓会誌「澱江57号」掲載の記事です

「澱江57号」はこちから御覧ください 

 

※因幡電機(株)喜多肇一社長は、澱江55号で紹介しています。

「澱江55号」はこちから御覧ください 
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