卒業生インタビュー

インタビュー:卒業生の活躍

「売れる商品でも、売らない信念」 今までの日本にない証券会社をめざし信念を持って走り続ける

玉田 弘文 氏(いちよし証券株式会社 代表執行役社長 61 回)
1971年10月25日大阪市生まれ。1990年3月、大阪府立市岡高等学校卒業。1995年3月、本学経営学部卒業。在学中はアメリカンフットボール部で活躍。土井乙平ゼミ所属。1995年4月、三洋証券株式会社入社。1998年1月、いちよし証券株式会社入社。2020年4月、同社代表執行役社長就任。東証一部上場、資本金145億円、従業員数1089人。入社当時4000億円だった預かり金が、現在2兆円を越えている。本学卒業生20人が在籍している。

波乱万丈な学生時代

40歳代でこの大きな会社の舵を取っておられる玉田さんにお会いする前、私は勝手に「順風満帆の人生を送ってこられたのだろうな」と想像していました。しかし、お話をお聞きすると玉田さんの人生は、まさに波瀾万丈でした。

「高校入試で、目標としていた公立高校の滑り止めとしていた私学が不合格となりました。幸い、併願の市岡高校に合格できたので高校浪人は免れました。ところが、高1の時突然父親が亡くなってしまいました」。

子供の頃から負けん気が強かったと言われる玉田さんは、本学に入学後アメリカンフットボール部に入部されますが「仲間には話しませんでしたので、彼らは私の結婚式まで父親のことを知りませんでした」。そのクラブ活動でもアクシデントがおこります。2回生の時に怪我をされ「4年間スターター(レギュラー)になることもなく、悔しさと共に、その分色々な角度で分折し考える経験ができました」。

証券会社へ入社するも経営破綻

卒業後、業界準大手の三洋証券に入社されますが、2年半後に経営破綻してしまいます。「金融業界は『護送船団方式』と表現されていて、最後は救ってもらえると思っていました」。しかし、ここが玉田さんのターニングポイントとなります。

「いちよし証券から熱心に誘っていただき、入社することになりました」。市内の今里支店で7年半アドバイザー(営業職)を経験の後、研修部に移り2年間新人教育を担当されました。「この時の教え子達が現在、課長や各地の支店長に育ってくれて、今では私の宝物です」。その後神戸支店長に就任されますが、わずか11ヶ月で長野県の「飯田証券」へ出向になられます。

「地方でがんばる証券会社を仲間として迎え入れ、共に発展していくという『いちよし証券の新しいビジネスモデルを構築せよ』との使命をうけました」。ただし失敗は許されないため「周囲からは『片道切符の出向だと』言われました」。しかし1年後見事に成功させ、その後、計6社の地方証券との合併へとつなげられました。なんと今では飯田支店が全国トップの支店だそうです。

お客様のために、いちよし証券が見定めること

 「20年以上前から当社では『7つのいちよし基準』を定め、お客様のためにならない商品は売らないと宣言しています。さらに、昨年の10月より20年ぶりに、お客様のための更なる改革を始めました。これは、まさに身を切る改革で、大きなリスクを伴います。しかし、当社が生き残りさらに発展するため、必ずやり遂げる覚悟です」。最近、金融サービスと情報技術を結びつけた「フィンテック」という言葉をよく耳にしますが、若い玉田さんが代表になられたのには、その影響もあるのですかと質問すると「AI重視なら私ではなく他の方が選ばれたと思います。リアルな対面外交を大切にする、いちよしのDNAをしっかり守り、次世代に伝える役目を託されたのだと思います」。

いちよし証券の株主総会は集中日の平日ではなく、参加しやすい土曜日に開催されるそうです。「総会の後には懇談会を開き、株主の皆さんに当社のやり方をしっかり説明させていただきます」。正しい経営をしている自信無くしては発することのできない、力強い言葉でした。

最後に在学生へのアドバイスをお願いしました。「学生時代にしかできない、色々な体験をしてください。そして、たくさんの人に出会ってください。その経験は社会に出た時に、必ず役立ちます」。
(聞き手=広報部部長・田中伸治)

 

 

こちらは 同窓会誌「澱江56号」掲載の記事です

「澱江56号」はこちから御覧ください 
2023年度
2022年度
2021年度